企業沿革・組織図

昭和5年4月 創業者池内安清、金沢市近江町市場において海産物商池内商店を開業する。
昭和16年12月 日本国と米国の太平洋戦争が勃発する。
昭和20年8月 太平洋戦争終結。日本国敗戦。
昭和21年1月 本店を金沢市石屋小路5の3(青果市場内)に移し、青果物商に塩干物を売る。
昭和26年1月 個人商店から法人化し、有限会社池内商店を設立する。
資本金60万円、社長池内安清就任する。
昭和35年1月 大阪ハムの魚肉ハム(太物)をスライスして真空包装する。新たに製造加工業を開始する。
昭和38年7月 金沢市西念町へ55番地に製造工場及び冷蔵庫を新築する。
昭和38年12月 有限会社池内商店を組織変更し、池内株式会社となる。資本金を550万円に増資する。
昭和41年3月 グループ会社 塩干物仲買(株)マルイケ海産を設立する。社長 池内良輔、資本金500万円。
昭和41年5月 池内(株)と中野漬物が合併し、池内(株)となる。
昭和41年7月 金沢市中央卸売市場開設と同時に付属店舗に入場し営業を開始する。又(株)マルイケ海産 塩干物仲買として営業を開始。
昭和42年1月 金沢市二口町ト13番地に本社及び事務所を移転する。
昭和46年5月 先代社長 池内安清 死去する。新社長に池内清隆就任する。
昭和47年7月 西念工場を独立し、食料品製造業(株)ダイヨシ食品を設立する。
昭和49年11月 コンピュータ(ユーザック720)を初めて設置する。
昭和54年7月 富山県掛尾町508番地の2に富山営業所を開設。
昭和57年3月 (株)ダイヨシ食品の新工場を西念町へ55番地から西念町ト104-1へ移転し、新築する。
昭和59年10月 富山県掛尾町382番地に富山営業所を新築する。
昭和61年1月 会社設立35周年を記念してCIを導入し、イケウチ株式会社となる。
昭和64年1月 1月7日昭和天皇崩御される。翌日1月8日より年号が平成となる。
平成元年9月 金沢市二口町ト9番地に本社社屋を新設する。1階配送センター、2階事務所。
平成2年9月 グループ会社(株)マルイケ海産と(株)ダイヨシ食品が合併し、経営の一本化をはかる。社名は(株)マルイケ海産となる。
平成3年10月 (株)マルイケ海産、新社長に池内孝輔就任する。
平成4年5月 イシダのDP(デジタル・ピッキング)システムを導入し、夜間のピッキング作業の合理化を図る。
平成11年3月 (株)マルイケ海産とイケウチ(株)が合併し(営業権譲渡)し経営の効率化をはかる。社名は、マルイケ・イケウチ株式会社となる。新社長に池内孝輔就任する。
平成13年1月 会社設立50周年記念式典を金沢全日空ホテルで行う。
平成13年6月 町名変更により、本社住所が二口町から駅西本町となる。
平成15年3月 北陸人材開発センター(旗正治先生)による創注商品開発のセミナー始まる。
平成17年3月 マルイケ・イケウチ(株)が社名変更し、社名をイケウチ株式会社とする。
平成17年6月 インターネットにイケウチ(株)のホームページを開設する。
平成18年8月 富山営業所が富山中央卸売市場内(富山市掛尾町500番地)へ移転する。
平成23年3月 平成23年3月11日東日本大震災発生する。M9.0の地震と20メートルの大津波、更に福島原子力発電所の事故に伴う放射能漏れ等により、東北、関東の1都7県の死者、行方不明者20,000人に及び、その他建物、家屋、ライフライン等の被害甚大となる。当社の取引先も20社余に被害ある。
平成24年11月 当社西念工場は、社団法人日本惣菜協会の惣菜製造管理認定事業の規定による惣菜HACCP認定施設であることを通知される。


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